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〜親不孝通りの由来〜   |
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振子がお店を始めた昭和40年頃、この通りには今の様に
たくさんのお店はありませんでした。
昭和40年後半、九州英数学館と水城学園という大きな予備校が
近くにあったため、昭和通りと長浜通りを結ぶこの通りは、
予備校生が通う列ができていたのでした。
それを見ていた振子のマスター(当時は喫茶店)、
『あぁ、親不孝モンが歩いている』と思い、冗談半分で、
お客の予備校生に『ココは親不孝通りたい』といい始めたのが
そもそものきっかけ。
いつの間にか、全国的にも知られる名前となりました。 |
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〜バブル期に入って〜
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バブルの頃までには、親不孝通りにもたくさんのお店ができ
予備校生だけでなく、大学生・社会人などたくさんの人で
にぎわう通りとなりました。
週末は県外からも人が集まり、夜遅くまでお祭りのような
騒ぎになることもありました。
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〜親富孝通りへ〜
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バブルが終わり、[親不孝]のイメージはかつての
[予備校生の親不孝モノ]から[夜遊びの親不孝モノ]へと
変わってしまったようです。
そこで、この通りのお店や住人の方々の中から
「親不孝」という名称をやめようという話が持ち上がりました。
しかし愛着のあるこの名称を消したくないという声も多く
漢字だけを変更して[親富孝]という名称を用いることになりました。
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